自分に許可を出す。”今”の自分の気持ちを大切にしてあげたい
今日の記事は、彼と出会って一ヶ月半ほど過ぎた頃のわたしのココロモヨウについて少し。
彼と出会ってからずっとこれまでの魂の旅のなかで感じていた様々ないつかの感情を感じていました。
感じていたというのは、ちょっと語弊があります。
率先して感じていたわけではなく、とめどもなく溢れ感じざる負えなかった。
いつもの客観視ができないくらいにヘビーなものでした。
彼(彼女)を好きな気持ち、恐れる気持ち、尊敬する気持ち、いつかの後悔、家族愛、夫婦愛、親子愛、いろんな過去世の、いろんなものが一気にふきでてきました。
これまでも、過去世がふきでることはたびたびあったけど、こんなに、一気に、いろんな初めて感じるものが”同時”に吹き出すことはなく、私自身、なかなかないというか、初めての体験でした。
しかも、どれもこれもが、ちょっとヘビーな内容でがっつりと、感情をひきずってるものばかりで久しぶりに大変でした。
そんな中でも、冷静にいなきゃと、客観視&自己分析。
”今の現世の自分は、彼のことどう思ってるんだろうか?”
”イマの私も彼にキュンとしてるのだろうか?”
”過去世の感情に記憶に振り回されてるだけじゃないかな?”
そんなことをずっと自分に問いかけました。
私が自分と最大限に向き合ってるそのころ、同時並行で、現実的には、なぜか、”彼氏なのか?”というくらいに、友達の量をはるかに越えたメールが彼から毎日きていました。
(というか、彼氏だとしてもこんなにたくさんのメールのやり取りを毎日続けてしたことなんてないよ、これまでと思うくらいの量でした・笑)
出会って一ヶ月半、私は私のことをずっと観察しつづけました。
そして、過去世に降り回れてるだけじゃないナニカを見つけてしまいました。
観察して気づいたのは、この一ヶ月半で、旦那や家族、自分を見守ってくれて日々やりとりしているガーディアンたちと同じくらいに、彼のことを、今も昔も未来も魂で大切に感じてる自分。
それと、そんなことを思ってはダメだという自分基準をみつけました。基準というより、自分戒律に近いかな・・・。なんの基準かというと、恋愛、夫婦のありかたに関する考えです。
その自分基準は、これまでの魂の傷や、後悔や、今世選んできた状況、考え方、などをベースとしてできあがってました。
それは、今世のじぶんのものの考え方、捉え方、じぶんのまわりにおきるできごとのベースを構成しているエネルギー。
わたしの中で芽生えた彼への感情は、しっかりと、その自分戒律にひっかかっていました。すでにアウト。
このベースとなるものから出来てるじぶん基準を、今の自分が守るのも、それとは違った選択を選び守らないのも、じぶんで決めて良いことは知っていました。
ですが”それでもいいよと守らない方を選んでもいいよ!”と、認めてあげるのは大変でした。
すっかり染み付いたそのモノの捉え方、感覚は、”そんなもの到底みとめられないだろう??”そう言っていました。
だけど、”彼のことが大切に思えてるという気持ち”だけは認めてあげたい。
自分に気持ちを大切にしてあげたい。
正直に、自分にまっすぐでいたい。
そう思う自分がいました。
”そう思うのは、これは、今世の自分?”
これもまた問いかけました。
それは今の自分が思っているように思えました。
自分が特に大切に思う対象の中に加えたい。
だからといって、彼と今後、どうこうしたいわけじゃない。
大切に感じてる気持ちだけでも認めたい。
このことを問いかけながら、すごく思ったのは、”感情にふたして後悔する人生はいやだ。”ということ。
だれかのことを心の中で思うくらいなら、どうってことないじゃない?そう思われる方も読まれてる方の中にはたくさんいらっしゃると思うのですが、私が今世いきるうえでセットアップしてきた情報ではそれを選ぶのは、崖から飛び降りるくらいの決断でした。
なんて、大げさな!!
そう思うかもしれないのですが、きっと、誰にでも、゛崖から飛び降りるくらいに大変に感じている、そう思えるようななにか”ってあるのかなと思います。それがたまたまた私はこの内容だった。それだけです。
一番最初に、自分を縛っている自分基準、こうあるべき、こうしたほうがよい・・・これが普通・・・それはいけない・・・そんないろんなことのなかで、とても重要にかんじていた要項におもいっきりはむかったのが、この”彼のことも大切に思いたい”という気持ちを認めてあげた時なのかもしれません。
そして、その気持ちと行動は、自分基準にははむかってはいるのですが、それと同時に、今の自分を大切にしてあげた瞬間でした。
私は、”彼のことを大切に思うこと”を自分に許可しました。
言葉がお互いにわからなかった理由は
先の記事の続きです。
出会った頃、面白いくらいに、お互いの使っている言葉があまりにも伝わらないことが多かったという記事を書きました。中でも、見えない世界の話をするとき、それは、もう散々なくらいで、理解はできないは、伝えたいわ、知りたいわで、伝わらないもどかしさ、わからないもどかしさに喧嘩になることも。
一度、言葉がつたわらなさすぎることについて、共通の友人にきいてみました。
彼と出会うきっかけを作ってくれた共通の友人曰く、彼の使う言葉は、彼自身が通っていたとあるスピリチュアル系のスクールで使っていた言葉や、その当時いろんなところから得た知識でつかわれていた表現がほとんどだということをおしえてくれました。彼と同じくそのスクール生だった共通の友人には、その言葉や意味がちゃんと通じるようでした。
それにしても、お互いに置かれた環境が違いすぎていて、同じ世界観を表現するにも、使用する言葉が違っているだけで内容が一発でちゃんと伝わらないんです。
私自身は、幼少から自身のガーディアンとのやりとりはずっとしていましたが、当時はまだ”スピリチュアル”という言葉自体に拒否反応があり、そういったところ(スピリチュアル関係)へ顔を出したことがなかったので、そういった世界では一般的になってるような知識、言葉の言い回しでさえ入っていなくて、ましてや、いろんな事象の表現のされ方なども知らずに、独自の世界観の中だけにいました。
ですので、蓋を開けたら、なんだ、同じこといってるんじゃん・・・・そういったこともしばしばでした。
結局、わかったことは、これまでどおり、わからない言葉は、その都度確認するしかないという結論なのでした。
スピリチュアル系のスクールに通っていたこともある彼ですが、私と出会った頃の彼の口癖は、
「スピリチュアルな事象が、”本当!”、 ”真実!”、っ て感じられる部分があるのなら好き。でも、そう感じられないとしたなら ”くそくらえ”っ て思うくらいにきらい。
・・・というか、むしろ好き嫌い以前に興味すらもわかないものなんだ。私をスピリチュアルにハマってる人だと勘違いしないで欲しい。
私は、”真実が好き”なんだ。
たまたま、真実だと思えることがあったからスピリチュアルもありって今はおもえているんだよ・・・」
でした。
私のなかで、”スピリチュアル”という言葉、そういったものを扱う現象に特に偏見もあったので、そう言った意味でも、言わせてしまった言葉なのかなと思いました。
その言葉が嫌いだった理由は、また今度。
実は、出会った頃の彼と私は物事の表現方法が全く違って、少しも言葉が通じなかった。共通言語がなかった。
であった当初、彼は本当に私の一語一句、いろんな物事の表現の仕方がわからなかったようです。それは私も同じで、お互いに”それはどう言う意味で使っている言葉なの??”と確認の毎日。
それと同時に彼は・・・、
この人(私)は、真実を話す人か??
この人(私)は、自分にとって信用に値する話をする人か?自分の信頼基準をクリアする人か?
を、見極めてもいたようです。
彼にとっては、”信用”と、”真実”、”信頼”は、特にとても大切なワードでした。
そして、その話をしだすと、彼の言葉が今度は私にとってはとても難しく感じられてわからないものでした。
どうでもいい人なら、内容がわからなくても、適当にウンウンと、そのままスルーでもよかったのですがわからないままにはしておけませんでした。
お互い、とにかくもっともっと相手が知りたかった。
エナジーで、魂で、伝わる全ては、この人をしっかりとつたえてはきているのだけど、現時点、目に見える現実世界の自分たち、相手にも興味がありました。
いま、現時点のお互いの世界観や、考え方の話なんかもしていました。
だけど、すればするほど、そこで出てくる相手が使ってる言葉や、表現されてることでわからいものがどんどんでてきて、その度に確認作業ばかり。
おおがかりな確認作業のすえ、蓋をあけてみると、”なんだ同じことを表現していたのか”・・・ということがほとんどではあったのですが、表現方法が違うだけで、わからない(笑)
なんで、こんなに、困難な作業になってしまったのかは、次の記事で・・・。
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多分、読まれてる皆さんの疑問(子供編:下の子の場合)
前の記事では、上の子のことをかきましたが、次は下の子のおはなしです。
これまで、こちらのブログでは、魂の片割れ、ツインソウルとの出会いと心境の変化をかいていました。
読み進めるうちに、たぶん、読みながらみなさんが気になるのは、子連れだった私の子供のことかなと思いましたので安心して読みすすめていただけるように先に離婚にあたっての子供の様子を少し書いておきたいと思います。
ちょうど、離婚の手続きが年末年始になり、こどもたちの個人懇談の日もかぶってきました。その、個人懇談の席でのお話です。
当時、下の子は、低学年でした。
担任の先生から、子供の学業の話が終わって、離婚の話をと思ったら、
『校長先生から、おうちの事情は、娘さんから聞いてるので事務手続きとかいろんな事も今の時期あせらないので、すべて終わってからで大丈夫ですよーと伺ってます』
と、言われました。
びっくりです。
なんで校長先生??
いつのまにそんなおおごとに~~!!
・・・と思ってしまうかもしれませんが、実際、私も頭の中が?でいっぱいでしたが、担任の先生曰く、当時、校長先生が大好きだった次女ちゃんはおうちであったこと、かれのこと、わたしのこと、実のお父さんのこと、いろんなことを校長先生にあーだこーだとお話していたそうで、それで家の内情がぜ~~んぶつつぬけでした(笑)
先生に、「娘さん、安定して”いつも通り”なので私たちも心配していません」って言われました。
さらに、担任の先生にきいたところ、うちの学校は、それなりに人数もいるんですが、(当時の)校長先生がフレンドリーな方で、子供達とコミュニケーションをとるために、教室中を回ってるそうで、子供たちも話しかけやすいそうでとのことで、なるほど・・・・。
※いまは、校長先生はかわられています。
それにしても、上の子と、下の子の、同じ、学校に離婚の話を伝えるという同じ状況でも、ことの流れ方が違いすぎて、おもしろすぎました。
今回は、どちらかだけでも衝撃的な流れなのに、どちらも、なかなかない流れで本当に人生って面白いです(笑)
離婚に限らず、なんでもそうなのですが、その方々のこれまで見てきたいろんな出来事があって、今回のできごと(今回は離婚)にまつわる概念、そこから生まれた感情、他にもいろいろなものの基準ができて、それをベースにして、目の前にみえるその状況は、人それぞれにいろんな状況に見えて映るのだろうなと思います。
みんな、本当にいろんなことを思っています。
いずれにしても、今回の子供たちに関わるこの出来事は、どちらの先生も娘の事みててくださっていてたからの流れ。
氣にかけてくださったから見えた。そう見えた。そう見てた。
無関心ではなかったからこその発言。
なので、どちらの流れも、当時はびっくりしましたが、今は素直にほんとうにありがたいなと思いまいした。
思いもよらない上の子の行動とは。
多分、読まれてる皆さんの疑問(子供編:上の子の場合)
魂の片割れ、ツインソウルとの出会いとその当時の心境の変化をかいてみましたが、たぶん、読みながらみなさんが気になるのは、子連れだった私のことや、子供のこと、前の夫のことかなと思います。
今日は、一旦、話を中断してそちらに焦点をあてて書いてみたいと思います。
私は彼と出会ってから、離婚、子連れで再婚しています。離婚の話を切り出した時、伝えた時、前の夫も、子供たちも、両方の親達も、私の想像を遥か超えた反応、行動をしました。
崖から飛び降りるつもりで、そのままの気持ちを伝えた時、世界は、想像もしない広がりを見せるのだというのを実感しました。
今回は上の子供について書こうと思います。
離婚の話をしたとき、その日は泣いたのですが、わりとすんなりと状況を上の子は受け入れていました。
子供自身からみて両親は仲がよく、全然そんな前兆すらなかったので、「え?仲が悪かったの?」と聞かれました。実際には、周りから見ても仲良しの方だったと思います。仲が特に悪かったわけではありませんが、少し不満な点はありました。でも、今の夫にあわなければ、前の方とは別れようとはその時点では思ってはなかったし、その不満点が、あの時点での、別れる理由というわけではなかったです。ただ、もしかしたら、時間をおいて、現状変わらずであったならば、もしかしたらそうなっていたのかもしれませんけど、そればっかりは、その時になってみないとわかりません。
子供たちには、純粋に好きな人ができたから離婚をしたいということ、それと、先程も書いた、その時までに感じていた不満だった部分というのはそのまま伝えました。
上の子は「大人の事情はわからんけど、お母さんが真剣なのだけは伝わった!」と、ひとしきり泣いたあと、承諾してくれました。
その帰ってきた言葉に伝えた私がびっくりでした。
その後、両実家にも連絡をし、離婚することが許されて、家をでて、彼と子供達と一緒に暮らし始めました。
ちょうど、年末で、中学校の個人懇談があり担任の先生と私がお話しすることになりました。
その時も、上の子の行動でとてもびっくりすることがありました。
その話は次の記事で。
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