言葉がお互いにわからなかった理由は
先の記事の続きです。
出会った頃、面白いくらいに、お互いの使っている言葉があまりにも伝わらないことが多かったという記事を書きました。中でも、見えない世界の話をするとき、それは、もう散々なくらいで、理解はできないは、伝えたいわ、知りたいわで、伝わらないもどかしさ、わからないもどかしさに喧嘩になることも。
一度、言葉がつたわらなさすぎることについて、共通の友人にきいてみました。
彼と出会うきっかけを作ってくれた共通の友人曰く、彼の使う言葉は、彼自身が通っていたとあるスピリチュアル系のスクールで使っていた言葉や、その当時いろんなところから得た知識でつかわれていた表現がほとんどだということをおしえてくれました。彼と同じくそのスクール生だった共通の友人には、その言葉や意味がちゃんと通じるようでした。
それにしても、お互いに置かれた環境が違いすぎていて、同じ世界観を表現するにも、使用する言葉が違っているだけで内容が一発でちゃんと伝わらないんです。
私自身は、幼少から自身のガーディアンとのやりとりはずっとしていましたが、当時はまだ”スピリチュアル”という言葉自体に拒否反応があり、そういったところ(スピリチュアル関係)へ顔を出したことがなかったので、そういった世界では一般的になってるような知識、言葉の言い回しでさえ入っていなくて、ましてや、いろんな事象の表現のされ方なども知らずに、独自の世界観の中だけにいました。
ですので、蓋を開けたら、なんだ、同じこといってるんじゃん・・・・そういったこともしばしばでした。
結局、わかったことは、これまでどおり、わからない言葉は、その都度確認するしかないという結論なのでした。
スピリチュアル系のスクールに通っていたこともある彼ですが、私と出会った頃の彼の口癖は、
「スピリチュアルな事象が、”本当!”、 ”真実!”、っ て感じられる部分があるのなら好き。でも、そう感じられないとしたなら ”くそくらえ”っ て思うくらいにきらい。
・・・というか、むしろ好き嫌い以前に興味すらもわかないものなんだ。私をスピリチュアルにハマってる人だと勘違いしないで欲しい。
私は、”真実が好き”なんだ。
たまたま、真実だと思えることがあったからスピリチュアルもありって今はおもえているんだよ・・・」
でした。
私のなかで、”スピリチュアル”という言葉、そういったものを扱う現象に特に偏見もあったので、そう言った意味でも、言わせてしまった言葉なのかなと思いました。
その言葉が嫌いだった理由は、また今度。