自分の気持ちに責任と覚悟をもてなかっただけだった
「あなただから・・・。
気持ちのあり方が違うから、いいんだ」
・・・と言う返事でした。
私には少し?の飛ぶ答えだったけど、彼としては、私は彼の中にある彼がラインをひいた信頼基準をはるかに超えていて、十分に信頼に値するという判断にいたったということを必死に伝えてきました。
そして、一生懸命伝えてきたのは、
「今世、もう結婚しないと決めていたけど、思いがけないタイミングで、あなたが現れてしまった。あなたとなら、結婚はしてもいいと思えてる。だけど、現実、あなたは、まだ既婚者。まずはあなたが離婚。結婚を考えるのはその後の話でいいと思うのですが」
私は、早々にこの悩みから解放されたい気持ちがあったのに、スッキリもできず、新たな悩みも抱えることとなりました
確かに、私が、きちんと別れたら、
一人になったら向き合う
・・・というのはもっともな正論。
でも、都合の良い、あやふやにしてしまうための、逃げの言葉にも聞こえるのも確か。
だけど、いま、思えば、私は、新たな悩みを抱えたわけではなくて、私がただ自分の気持ちに責任と”覚悟”をもつことができなかっただけ。
彼からの結婚しようという一言の保証がほしかった。
安全と安心がある中で離婚に踏み切りたかっただけでした。
(そんなものほど、うさんくさいものはないのに・・・)
あなたがちゃんと旦那さんと別れたら
彼からの返事は、
”いますぐに結婚すると返事はできないけど、別れたくはない”・・・の一点ばり。
付き合い続けたいと言い続けました。
「はっきりしないなら、別れる。もう会わない」
そういうと、
「俺は、別れるなんて言っていない。
会わないなんて言ってないんだ。
嫌だ!
あなたがちゃんと旦那さんと別れたら、(結婚を)考えるって言ってるんだ。」
子供が駄々っ子になっているような感覚もありました。
私にとっては、この、本当に信じられるのかどうかも怪しい、とても不確かな中でのお付き合い続行という流れになりました。
この8歳年下の彼は、本当にそんなことをおもっているのだろうか?
過去世の感情や、魂の設定や、彼の好きな”流れ”に流されているだけではないだろうか。
信用してもいいのかな?
ただでさえ、年下との異性で辛い思いをした記憶で、今世、わけもわからない小さい時から、勝手に湧き上がるしんどい感情を味わってきていた私。状況がにてくることによって、その感情は鮮明になり、今の自分といつかの自分の境目がなくなっていく。どちらがどちらなのかわからなくなるくらいの同化感。不安は最絶頂でした。
そんななか、ずっとデートしながらも気になっていたことを、彼に聞きました。
「いま、これまでの私の状況は、旦那さんにあなたの存在を伝えてあるとは言え、好きな気持ちがある中で二人であっているため、事実上のデートなので、あなたの嫌いな<浮気をしてる女性>であることにはかわりないけど、そんな私でもいいの?」
彼の矛盾、私の疑問を投げかけました。
あなたとは結婚してもいいと思えてる
わたしが、彼に、”あなたはどんな気持ちで付き合ってるのか?”、”今後どんなつもりなのか?”、”私はもうこの状態はムリだから”・・・・と告げたあと、実際にどんなコトバがかえってきて、今に至ることになったのか・・・。実は記憶が薄い。
彼の中で、”まだ決めたくないのにって、思ってる”のだけは伝わって来たのは覚えてる。
さらにうっすらとした記憶をたどってみる。
そこにあるコトバは、
「付き合いは続けたい。
浮気は自分のなかで絶対だめだとおもってる。
結婚は慎重に決めたいとおもってる。
人生や、自分の決断に後悔はしたくない。
あなたの、旦那さんを思うスタンスを見ていて、あなたとは結婚してもいいとそう思えてる。
浮気もしないだろうし。
一緒にいて楽しい。
気持ちいい」。
このときにもらったコトバかどうかは定かじゃないけど、当時、この話をしてた時にはよく出てきていた言葉です。
だけど、そうはいいつつも、彼の中では、まだ決めるのは早いと思うの・・・に、という感じのようでした。
たしかに、このときは出会ってから4ヶ月。
二人で会うようになって1か月半。
普通に考えたら、きっと間違いなくはやいよね(笑)
だけどわたしには十分な時間でした。
あの状態を続けるには、私の限界がありました。
この時の彼が”まだ決めるには早いと感じている”という部分は、彼が、魂のつながりからではなく、今の私もちゃんと見てくれているというふうにも私は感じられたので、それだけでも十分に嬉しかったのも覚えています。
これで終わり
8月朔日、二人で楽しいお出かけの最中でしたが、我慢できずに、いきなりのタイミングで、私から話を切り出しました。
”お付き合いを続けるなら、
旦那さんとは離婚するから
結婚しよう。
子供がこちらに来ると言ったら、ちゃんと一緒に育ててね。
もし、結婚する気がないなら、
もし、結婚しても、
私のところに私の子供がきたとして、
父親として面倒が見れないなら、
これで終わりにしよう”
今世は結婚するつもりはないと言っていて、そして、現在、夢を追い続けてる最中で定職にはついていない彼だったので、これで、二人の関係は、おわりになるだろうと思っていました。
でも、それなら、それで仕方ないと思いました。
正直にいえば、仕方ないとは思いたくはなかったです。
だけど、彼とともに前を向いていきたい気持ちと、今の状態から逃げたい気持ち、両方ありました。
そして、この行動は、二人で会う時間が心地よかった私にとっては、またしても、崖から飛び降りた感じでした。
何かの区切りを、自分でつけようとする瞬間ってなんでも怖いですよね。
出会ってから、三ヶ月ちょっと、2人で会い始めて一ヶ月半のことでした・・・・・。
私は家庭を壊す気はない。割り切っておつきあいしよう。
前の旦那さんに、彼のことを話し、
そうやって二人で会いはじめてからも、
彼は、
「私は家庭を壊す気はない。
割りきっておつきあいしよう。
旦那さんのことは大事にすること。
自己否定しないこと。」
と言われ続けました。
そして、一緒にいました。
だけど、現在の彼のことが好きになってくると、その関係性が私にはとても辛いものになってきました。
わたしにはこういったお付き合いはむいてない。
二人で会うようになって、一ヶ月半で無理でした。
自分が今まで大切にしてきた”不倫、恋愛、家族、に対しての自己基準”から大きくはみ出ている今の自分は自分にとって許せるものではありませんでした。
私にとっては、”好き””愛?”というような文字が目の前にちらついているこの状態で、当時の旦那さんを大切にし、彼とも会うのは無理でした。
この宙ぶらりんはムリ。
私には、割り切るとか、そんな文字、辞書にないらしいと、すごく痛感しました。
自己否定するな?
無理でした。
客観視で見えてくるいつかの誰かの感情たち。
それからは、彼と、一ヶ月半の間に多くの場所に行きました。
今こうやって振り替えると、本当に長く遊んだ気がしますが、一ヶ月半しかなかったんだなと。あの期間は、もっと長い気がしていました。実際に二人で会う以外の時間も、ずっと毎日チャットに近いメールのやりとりをしてたからかもしれません。
そして、当時は、専業主婦だった私と、定職についていなかった彼には、多くの時間がありました。
2人で会うようになって、彼が言ったのは、「運転は嫌い、したくない」でした。私に会うまでは、いつも、そのときどきで一緒にいた人が運転してくれて乗っけてもらってた。自分ではしな~いと。
そこで、私の中に浮かんだ感情は、”あぁ、そう。いつも女の方にしてもらっていたのね。”発言がめんどくさいのと、怒りと、ヤキモチと、他にもいろんな感情が湧き上がってきました。・・・。
そして、なにより、私もそんなに運転がすきなわけではない。
近場を運転するのはいいけど。
で、それを伝えると、なんだかんだと彼はお出かけの時にはかわりばんこだったけども、運転してくれました。
私の知らない道や、遠出の時は、率先して彼がしてくれました。
ここに連れて行きたかったんだ~って、色々なところにつれていってくれました。
そう扱われている自分は、目に見えないこれまで彼に関わってきた誰かに対しての敵対心と、その方たちに勝利した感覚を味わっていました。大切にしてきた考え方や、過去世の感覚や、設定した感覚、集合意識って本当に面倒くさいなぁと思いました(笑)
いま、現時点、これまでの彼とのドライブに実際に登場していた関わっていた人は、運転が好きだったかもしれないし、彼に興味があった人や、完全に狙っていた人、好きでお付き合いしていた人ももちろんいただろうけど、彼のこと本当に友達、興味がない、と思っていた人もいたと思う。
だけど、とにかく、彼の話、行動から、全部ひっくるめて、そんな風に自分は感じるのだなぁ・・・と。
客観視している自分と、必死にその勝利感にすがって、その勝利感からくる至福に浸っている自分のなかのだ誰かを感じていました。
おばかな感覚~~~と思いながら、今の自分とのギャップを感じたり、その感覚に飲み込まれたりを繰り返していました。
面白いくらいに、彼といった先々で撮った写真はキラキラ♡
初めて二人だけで会った日の朝
彼に会うと決め、とうとう当日の朝、一羽のカラスが天窓に遊びに来ました。
かれこれ八年間、その家に住んでましたが、天窓にきた鳥さんとご対面したことなんてありませんでした。
しかも、カラスは、私のガーディアンのセブさんのお使いアニマル。
私にとっては、これ以上ないタイミングで現れたお使いでした。
わたしのことを、長い時間、上からじっと見おろしていました。
(カメラ撮影までOKだし・笑)
セブさんは、
これも流れ。
(あなたが今世それを)望むなら
(二人でいる時間は約束されている)OKなんだ。
どの選択をしてもみまもってるよ。
(選ぶことを選択しても、選ばないことを選択してもOK)
・・・・と言ってました。
すべての方向への扉は用意されていて、どの扉も選んでもいい。
どの扉を選んでも、あなたの人生。
私の人生において、 私のすべてにおける選択権、決定権は私にある。
だからこそ、自分に対しての責任感が必要。
そして、どの選択をしても、自分で選んだのだと自覚していれば、たとえどんな状況であっても後悔なく、誰のせいにもせず、何かのせいにもせず、理由もつけず、ただその瞬間にいることができる。
すべては自分が選び、責任をもって選んでいるということを実体感として腑に落ちたとき、世界が広がりました。